赤塚不二夫の葬儀でのタモリの弔辞を見て




赤塚不二夫の葬儀でのタモリの弔辞を見ました。YouTubeで。

心に沁みる言葉とはこのことを言うのでしょう。とても感動しました。で、いつものようにブックマークしようとしたのですが、躊躇してしまいました。

はたして葬儀の場の、一人の人間の真摯な弔辞をブックマークしてよいものか、と。

考えてみれば、本来限られた人間の間しか共有されないプライベート的なものが、TVで放映され、YouTubeにアップされ、繰り返し繰り返し見られているわけです。そして、そのあげくブックマークされます。

普段はまったく気にしたことがないのですが、こういったサイクルって、少しだけ下品さを感じます。少なくとも、そう感じる人は年配の方にたくさんいるのではないのでしょうか。

で、思ったこと。たぶん、新しい技術や道具というものは下品な行動を生み出すものなんだな、ということ。例えば、秋葉原の通り魔事件で野次馬が事件現場を携帯でカシャカシャ撮っていたという話もそうですね。誤解してもらいたくないのは、僕は弔辞をYouTubeにアップしたりだとか、ブックマークしたりだとか、素人が写真を撮ったりすることを一律にいいとか悪いとか言っているのではありません。そうではなくて、新しい技術や道具は、それを使う人たちの新しい行動を生み出して、そういった行動は今までになかったものだから、既存の道徳とか社会常識から見ると、非道徳的で、非常識で、下品なものに見えるということを言いたいのです。昔読んだスティーブン・ピンカーの本(心は「空白の石版」か)で、道徳も時代によって進化する必要がある、と言っていましたが、こういうことなんでしょう。

こう考えると、どんな時代にも「人々のモラルは下がっている」とか「今の若い者は」とか「昔はよかった」といった言説が出てくることも説明できるような気がします。どんな時代にもテクノロジーは少しずつ進化していますし。

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